希望のつばさ   プロジェクト

2016年8月 原発事故・福島県南相馬市 スタディツアー報告
@常磐自動車道、国道6号線

2016年8月19日(土)〜20日(日)まで、NPO法人原発ゼロ市民共同かわさき発電所の主催で、福島原発事故・南相馬市スタディツアーが実施されました。

希望のつばさプロジェクトは、NPO法人原発ゼロ市民共同かわさき発電所の活動に全面協力しており、このスタディツアーにも、2名が参加しました。

現地の当事者の声にふれ、被災者でありながら自らの力で未来を切り開こうとしている南相馬市民の方と交流できた素晴らしい2日間となりました。
今回のツアーをコーディネートしていただいた、須磨修一氏と、お忙しい中でお話をしてくださった南相馬市の方々に深く感謝しています。



雨の中、朝6:30に集まり、参加者18名でマイクロバスに乗り込み、首都高から常磐自動車道を経由して福島県南相馬市へ向かいしました。

今回のツアーの目的は、2011年3月11日の東日本大震災と福島第一原発事故から5年5ヶ月がすぎた福島県を訪問して、今、福島がどうなっているのかを学ぶことでした。


常磐自動車道(高速道路)は福島第一原子力発電所の近くを通る福島県浜通りの主要道路であり、放射線量が高いため、原発事故後は福島県内の一部区間が通行止めになっていた場所です。




福島県いわき市の「四倉PA」でトイレ休憩。
福島第一原発そばのモニタリングポスト(放射能測定)の結果を表示した案内板があり、最大で1時間あたり「3.6マイクロシーベルト」と表示。
これは、もしそこに1年間留まっていた場合、年間の被曝量の基準である1ミリシーベルトを大きく超えてしまう線量です。
私たちは、数分間で通り過ぎてしまうため、そこまで心配する値ではありませんが、無条件に安全といえるような状態ではありません。


放射線量が高いため、この先はバイクなど二輪車の通行が禁止と案内がありました。


常磐自動車道の福島第一原発事故付近には、このようにモニタリングポスト(放射能測定設備)が置かれています。


車窓から見えるのは、無人の街と、放射性物質の除染をおこなったフレコンバッグの山。



原発事故の被災地域を視察するため、高速道路は常磐富岡インターで降りて、国道6号線を走る



原発事故のために人間が住めなくなった街。
あちらこちらに立ち入りを制限するカラーコーンや、バリケードがある。


人間が生活していないため雑草が生い茂る。


国道6号線は、場所によって放射線量は異なるが、原発に近い場所では国道に設置された案内板でも1時間あたり「3.012マイクロシーベルト」と危険な値となっている場所もある。


バスの中でも、川崎市(行政)から借りてきた放射能測定器も高い数値を示す。


この交差点には、かつて「原子力 明るい未来のエネルギー」というアーチ形の看板が設置してあった。昨年来たときには有ったが、今回は撤去されていた。


福島県内には、原発事故から5年以上が経った今も、高濃度の放射性物質による汚染で立ち入り、帰還の目処が立たない帰還困難区域がたくさんあります。


国道6号線沿いにも、除染により出たゴミが詰まった黒いフレコンバッグの山が何か所も見えました。(フレコンバッグは、ブルーシートのようなもので覆い隠してある場所も多いです。)


除染作業員の姿も、ところどころに見えました。


国道6号線沿いにある、原発事故のために営業できなくなったラーメン屋さん。
東京電力を相手に裁判を闘っていましたが、店主さんは希望を失い自殺したと聞いています。


南相馬市は平成28年7月12日に居住制限区域及び避難指示解除準備区域が解除され、以前に来たときよりも交通量が増えていました。


南相馬市でも原発から20キロ県外の原町区にも、フレコンバッグの山。
増え続けるこの放射性物質のゴミの山をどう処理するのでしょうか?
セシウム137の半減期は30年であり、中間貯蔵施設や最終処分場の建設の目処はたっていません。この風景を見ると原子力発電所の建設がいかに無責任で無謀な出口戦略なき計画だったのかと思わずにはいられません。

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→A南相馬市の職員・保健師の大石さんのお話


【以下、近日公開予定。作業中です】

→B浪江町請戸浜等の視察

→C南相馬市立総合病院の金澤委員長のお話

→D農家民宿いちばん星と除染研究所の高橋さんのお話

→E南相馬ソーラー・アグリパークの視察

→F食彩庵とサイエンスラボ・斉藤さんのお話

→Gソーラーシェアリングの見学

→H【まとめ】私たちは福島原発事故とどう向き合うべきか